見えすぎた摩周湖

　摩周湖に行って１度目で湖の全貌が見られたら、婚期が遅れるともいわれる。

　17年前、32歳のゴールデンウィークのことだ。快晴の摩周湖に着いたとき、奈良から来たという女性と横浜から来たという男性と知り合った。３人ともバイクの一人旅。それぞれが別々のルートをたどり、たまたまその日その時間、摩周湖に来たというだけである。なぜか意気投合し、「いつか会おう」ということになった。
　旅先のこういう約束は、あまり守られないものだ。しかし３人は６カ月後の11月には再び顔を揃えたのである。場所は、東京の私のアパートだった。３人はスーパーに買い出しに行き、彼女がつくった鍋料理をつついた。
　男２人、女１人の奇妙な関係はそれからも続いた。
　だが考えてみれば、それはすごく不自然な関係だった。

　２月――。私は友人と一緒のスキーツアーに彼女を誘った。彼女は、すぐにやって来た。しかし横浜の男には知らせなかった。
「カレは来ないの？」
　とあいつは聞いた。私は「忙しいみたいだった」と嘘をついた。
　しばらくして代用教員の声がかかり、彼女は故郷の富山に帰った。しかしそれからも電話と手紙のやりとりは続いた。
　どうやらあいつは横浜の男が好きなようだった。しかし「わたし、片山さん好きだよ。尊敬してる」と笑って言った。どこまでが冗談なのか本気なのか、わからなかった。
「尊敬ねえ……じゃあ、愛はないんだ」
　あいつはそんな私の言葉を、ケラケラと笑って聞いていた。
　私は次第に横浜の男とは連絡をとらなくなった。

　10月だった−−。
　あいつが脊椎ヘルニアを手術し、郷里の富山で入院したことを知った私は、雨の中央高速を飛ばして会いに行った。もちろん横浜の男には知らせなかった。それは見舞いというよりも「ポイント稼ぎ」だった。そしてそのときはっきりと「東京に来ないか」と言った。
　彼女は驚いた表情で私を見た。……しばらくして「ごめんなさい」とだけ書かれた手紙が届いた。私はすぐに電話をかけた。
「俺はボールを投げた。ちゃんと投げ返せよ」
　彼女は何も答えなかった。そして「嬉しいし、幸せだし……、東京に行けばいいと思う。だけど……」とだけ言って、また黙ってしまった。そして私が何か言おうとすると、少し怒ったように言った。
「わたしがこんな思いをしてるのに、あのバカは今ごろヘラヘラやってるんだろうと思うと悔しい……」
　――聞きたくない答えだった。
　いつか彼女が、「同僚にプロポーズされたけど、あきらめ切れない人がいるから断わった」と言ったことがあった。そのとき、あきらめきれない男とは誰だろうと考えた。そして私は、あるひとつの答えだけは避けて通ってきたのだ。
　それからしばらく二人とも何も言わなかった。

　その後いろんなことがあった。結局彼女は、２人のどちらも選ばなかった。
　彼女はそれから４、５年後に結婚して富山県の小さな街に住んでいる。横浜の男はアメリカ人と結婚して今はロサンゼルスにいる。
　数年前まではどこかわだかまりがあって連絡も途絶えていたのだが、歳月がそれを押し流した。ときどきメールや時候の挨拶をやりとりしている。同じだけ歳をとり、私は49歳が近づき、彼らは今年42歳になるはずだ。
　あのあと私は何度も北海道に行っているが、どういうルートをとったときでも必ず摩周湖には行く。そして少しだけ落ち込んでしまう。

「あのとき摩周湖に霧がかかっていたら、どうなっていたんだろうか」
　私は今でもときどきそんなことを考える。

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